2023.04.10(月) |
昆虫共生微生物が誘導する宿主の性転換現象を
培養細胞上において世界で初めて再現、ボルバキアによる
宿主昆虫の性転換メカニズムの一端を明らかに(農研機構)
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共生微生物ボルバキア
1)は、宿主昆虫のオスを
メス化
2)する等、宿主の生殖を操作することが知られている。農研機構を中心とする研究グループでは、オスをメス化する働きを持つボルバキアを昆虫から取り出し、チョウ目害虫アズキノメイガのオスから作出した
培養細胞
3)に移植する技術と、
PCR検査
4)により簡易的に細胞の性を判別する技術を用いて、共生微生物による性転換現象を、試験管内で再現することに世界で初めて成功した。
また、性転換させた培養細胞を用いた実験から、ボルバキアが宿主アズキノメイガの性決定に関与する2個の遺伝子発現の操作を通じて宿主のメス化を誘導していることが判った。昆虫をメス化し、オスをいなくさせる技術は、新しい害虫駆除技術や有用昆虫の効率的生産技術の開発につながると期待される。
昆虫の細胞内に共生し、母から子に伝わる共生微生物ボルバキアは、全昆虫の過半数にも及ぶ膨大な種に感染していると考えられている。感染拡大の背景には、宿主のオスをメス化させるなど様々な操作を通じて、ボルバキアが昆虫の生殖を自身の増殖に都合が良いように改変する特性がある。
多くの天敵昆虫ではメスはオスに比べて摂食量が多く、飛散しにくいことが知られている。その点を活かし、害虫を捕食する天敵昆虫をボルバキアの働きでメスのみにすることができれば、捕食効率とほ場定着率を高めることによる防除効果向上が期待できる。
農研機構は富山大学、東京大学、摂南大学と共同で、チョウ目害虫アズキノメイガのオス宿主由来の培養細胞を作出し、これにボルバキアを人為的に移植し、定着させることに成功した。また見た目ではわからない培養細胞の性をPCR検査により簡易的に調べる手法を確立した。
これらの手法により、共生微生物ボルバキアが引き起こす生殖操作のひとつである宿主オスのメス化現象(性転換)を試験管(組織培養フラスコ)内で再現することに世界で初めて成功した。さらにこの実験系を用いてアズキノメイガの性決定に関与する2個の遺伝子の発現がボルバキア導入により大きく変化することを明らかにした。
本成果はメス化作用を持った共生微生物の効率的なスクリーニングを可能にする。また、培養細胞の新しい利用技術により、共生微生物による生殖操作の機構解明が加速する。共生微生物を活用して昆虫のメス化を促進•オスを除去する手法は、害虫防除や有用昆虫の効率的生産の新しい技術の開発につながることが期待される。
関連情報
予算 : ムーンショット型農林水産研究開発事業「先端的な物理手法と未利用の生物機能を駆使した害虫被害ゼロ農業の実現」、科研費(20F40719, 20K06084, 20K06083, 19H02972)、運営費交付金、NIP「共生微生物を利用した病害虫防除を実現するための新技術開発」
問い合わせ先など
研究推進責任者:農研機構生物機能利用研究部門所長 中島信彦
研究担当者:同昆虫利用技術研究領域上級研究員 陰山大輔
広報担当者:同研究推進部研究推進室 笠嶋めぐみ
<詳細情報>
開発の社会的背景
主に昆虫に共生する微生物ボルバキアは、宿主の生殖を様々な手法で操作している。この生殖操作を利用した害虫防除技術は、標的となる害虫以外に影響を与えないことから、デング熱等を媒介する蚊の防除などで環境負荷が低い手法として注目されている。
従来の化学農薬による害虫駆除では、害虫以外の益虫や生態系への負荷が生じてしまうが、共生微生物を利用した害虫防除技術では、標的となる害虫以外には全く影響を与えないし、共生微生物により強化された天敵の利用についても従来の天敵利用と同様に環境負荷を大きく抑えることが期待できる。
一方でボルバキアは、生きた昆虫の組織や細胞内でしか生きられないため、①単独で培養ができない、②ボルバキアの人為的な移植は容易ではない、という問題が研究の阻害要因となっていた。このためボルバキアがもつ機能の詳細な理解やその利活用に向けた研究は、ショウジョウバエなど一部のモデル昆虫や人に病気を媒介する衛生害虫に感染した生体組織や細胞を用いた研究に限られていた。
研究の経緯
我々の研究グループでは、ボルバキアによる宿主アズキノメイガのメス化に関する研究を進めてきた。メス化の仕組みを明らかにするためには、ボルバキアを持たないアズキノメイガにボルバキアを移植して、ボルバキアが操作する宿主側の因子を探索する技術が有効であると考えられるが昆虫から昆虫へのボルバキア移植は技術的なハードルが高く、移植に成功しても定着しにくい等、多くの問題があった。
そこでボルバキアと宿主の相互作用を解明するための研究ツールとして、培養細胞を活用することがメス化の仕組みを解明するためのブレイクスルーに繋がると考え、共生微生物を移植した培養細胞を活用した研究を進めてきた。農研機構はジーンバンク事業のサブバンクにおいて国内屈指の昆虫培養細胞株数を維持管理しており、昆虫類の培養細胞株作出技術やその利用に関する多くの研究実績を持っている。
共生微生物を培養細胞に移植して利用することには、以下のメリットが期待できる。①昆虫飼育の必要が無く、フラスコ内で共生微生物を維持管理することができる。②共生微生物が昆虫種に与える影響について、フラスコ内で簡便に調査することが可能になる。このように培養細胞の利用は、希少な昆虫種や飼育困難な昆虫種が保有する共生微生物において詳細な解析が可能になる。
研究の内容・意義
1.チョウ目害虫アズキノメイガ(写真1)に感染する共生微生物ボルバキアは宿主の性をオスからメスへ性転換させることが知られている。アズキノメイガの雌雄は遺伝子の発現調節で決まる。性決定遺伝子doublesex(Osdsx)は雌雄で異なる発現パターンを示すため、PCR検査により雌雄判定できる(Sugimoto and Ishikawa, 2012; https://doi.org/10.1098/rsbl.2011.1114)。
2.まず、アズキノメイガのオス組織から培養細胞を作出した。次にボルバキアに感染しているアズキノメイガのメスから抽出したボルバキアを、オス由来の培養細胞に移植することで、感染を確立させた。
3.ボルバキアを感染させたオス由来の培養細胞の性決定遺伝子の発現パターンを調べたところ、発現パターンがオス型からメス型へと変化していた。この結果はボルバキアによる生殖操作をフラスコ内で再現できた初めての事例で、共生微生物機能の研究に培養細胞が有効な素材であることを示す重要な発見だ。
3.ボルバキア移植によりメスに性転換したオス由来培養細胞では、2つの遺伝子(OsMascとOsznf-2)の発現量が大きく変化した( 図1)。これらはカイコガやアワノメイガでオス化誘導や性決定に関連すると考えられる遺伝子と類似性があった。
またアズキノメイガ生体においても、OsMascとOsznf-2の遺伝子は、ゲノムDNAからmRNAが転写される際の 選択的スプライシング 5)によってオス型とメス型の特徴的な発現パターンが生じていることがわかった( 図2)。この結果からこれらの2遺伝子は性決定に関与する因子であると考えられる。
4.アズキノメイガ卵の発生初期において、OsMascとOsznf-2の2種の遺伝子の発現パターンを解析したところ、OsMasc遺伝子のオス型配列のみがボルバキアにより顕著に抑制されることがわかった( 図3)。この結果はOsMascのオス特異的に転写される領域がオス化決定に重要な配列であり、ボルバキアによるメス化誘導のターゲットである可能性を示唆する。
今後の予定•期待
最近、別の研究グループにより、アズキノメイガの近縁種アワノメイガにおいて、ボルバキアが持つオス殺し遺伝子Oscarが同定され、アワノメイガが持つMasc遺伝子(OfMasc)と相互作用することが示された(Katsuma et al., 2022; https://doi.org/10.1038/s41467-022-34488-y)。
本研究において、ボルバキアにより操作を受ける宿主側の候補として、Masc遺伝子の雌雄それぞれに特異的な産物が新たに明らかになり、znf-2遺伝子が新たに示されたことで、今後アズキノメイガにおいて、ボルバキアが宿主に対してどのように作用し、どのようにメス化誘導に起因するオス殺しを達成しているかについての全容解明に向けた解析が可能になると期待している。
本研究成果は、更に特定の性の昆虫を生産する技術につながる可能性がある。例えば、共生微生物に感染したオスのみを放飼することにより野外個体数を減らすという害虫防除手法(不和合虫放飼法)が近年注目を集めているし、生物農薬として活用される天敵には寄生バチなどメスのみが殺虫活性を持つものが多く知られる。本研究の進展を通じて、共生微生物を利用した環境負荷が低い新規害虫防除技術や有用昆虫生産技術への貢献を目指す。
用語の解説
共生微生物ボルバキア Wolbachia pipientis
共生微生物は昆虫の細胞内に共生する微生物で、ウイルスや糸状菌なども含む様々なものが含まれる。その中でもアルファプロテオバクテリアに属するボルバキアは、昆虫を含む陸生節足動物の全体の65%の種にも感染が及ぶといわれている。共生微生物は一般に宿主の細胞質内に多く生息する。そのためミトコンドリアと同じようにメス親から子には伝わるが、オス親からは伝わらない。ボルバキアは自身が感染するメスを有利に生存させるため、しばしば宿主昆虫の生殖•繁殖を歪める操作を引き起こすことがわかっている。
メス化
ボルバキアによる生殖•繁殖の操作にはいろいろなものが報告されているが、遺伝的にオスである宿主をメスに性転換させるメス化は、その代表的なものとして知られている。本来オスはボルバキアを子に伝えることができないが、メスに性転換させることで子に自身が感染する細胞質を受け渡すことが可能になる。
一方でアズキノメイガに感染するボルバキアは、宿主のオスをメス化する作用を持っているが、そのメス化効果が原因となり、結果的にオスが死ぬ"オス殺し"が起こっている。宿主のオスのみを殺すメリットとしては、たくさん生みつけられた卵の中から、オスとなる卵のみが発育を停止するため、①限られた量のエサ資源に対してメスの割合が増加し、メス化と類似の効果が期待できる、②メスが孵化した際に発育不全のオス卵をエサとして利用することで、孵化幼虫の生存率を向上させることができる、等の効果があると考えられている。
培養細胞
動物や植物から細胞や組織を取り出し、好ましい人工培地•環境において維持管理することを通じて、自律的に増殖する性質を持つようになった細胞。
PCR検査
細胞の中に含まれるDNAやRNAを人工的に増やして、高感度で検出する検査方法。複製酵素(Polymerase)を用いて鋳型となるDNAを指数関数的に増幅させるため、Polymerase Chain Reaction(略してPCR)と呼ばれる。鋳型となる核酸がRNAの場合には、逆転写(Reverse Transcription)反応によってRNAをDNAに変換してPCRを行う必要がある。そのため遺伝子発現を確認する際のPCR検査は、逆転写PCR (RT-PCR)と呼ばれる。
選択的スプライシング
1つのゲノム領域から、配列の異なる複数の遺伝子を生成する仕組みだ。ゲノムDNAから転写された未成熟のmRNAは、翻訳される部位であるエクソンと除去される部位であるイントロンという部位を含むが、この未成熟mRNAからイントロンを除去してエクソンのみからなる成熟mRNAを作出する機構をスプライシングと言う。その中でもエクソン部位とイントロン部位を、目的に応じて変化させることで、1つの遺伝子領域から塩基配列の異なる複数の成熟mRNAを作り出す機構を選択的スプライシングと呼ぶ。一例として、昆虫で広く性決定遺伝子として機能しているdoublesex(dsx)遺伝子は、雌雄で異なった形で選択的スプライシングを受けることにより、性特異的なDSXタンパク質が作られ、雌雄の形態的特徴を作り出す遺伝子として機能している。
発表論文
Benjamin Herran, Takafumi N. Sugimoto, Kazuyo Watanabe, Shigeo Imanishi, Tsutomu Tsuchida, Takashi Matsuo, Yukio Ishikawa, Daisuke Kageyama. (2022) Cell-based analysis reveals that sex-determining gene signals in Ostrinia are pivotally changed by male-killing Wolbachia. PNAS Nexus, pgac293. https://doi.org/10.1093/pnasnexus/pgac293
参考図
図1 発現変動する遺伝子の解析結果
非感染オス細胞に対する感染オス細胞における56,026個の遺伝子断片のRNA量(対数比)。遺伝子断片5つのみが有意な発現変動を示した(赤丸)。このうち4つがOsMasc、1つがOsznf-2の部分配列に相当した。
図2 OsMascおよびOsznf-2の遺伝子構造(cDNA)
青色は非感染細胞のみで転写される配列、赤色は感染細胞のみで転写される配列、黄色は両方で転写される配列。開始コドン(白三角)から終止コドン(黒三角)までが、タンパク質に翻訳される領域。
図3 OsMascおよびOsznf-2の発現量解析の結果(胚)
サンプルとして卵塊(卵の集合体)を使用。各図とも縦軸は各遺伝子の相対的な発現量を示し、横軸は産卵後からの経過時間を示す。「通常」はボルバキア非感染雌から採取した卵塊、「ボルバキア感染」はボルバキア感染メスから採取した卵塊を示す。それぞれの卵塊からRNAを抽出して、定量PCRに供した。
また、性転換させた培養細胞を用いた実験から、ボルバキアが宿主アズキノメイガの性決定に関与する2個の遺伝子発現の操作を通じて宿主のメス化を誘導していることが判った。昆虫をメス化し、オスをいなくさせる技術は、新しい害虫駆除技術や有用昆虫の効率的生産技術の開発につながると期待される。
昆虫の細胞内に共生し、母から子に伝わる共生微生物ボルバキアは、全昆虫の過半数にも及ぶ膨大な種に感染していると考えられている。感染拡大の背景には、宿主のオスをメス化させるなど様々な操作を通じて、ボルバキアが昆虫の生殖を自身の増殖に都合が良いように改変する特性がある。
多くの天敵昆虫ではメスはオスに比べて摂食量が多く、飛散しにくいことが知られている。その点を活かし、害虫を捕食する天敵昆虫をボルバキアの働きでメスのみにすることができれば、捕食効率とほ場定着率を高めることによる防除効果向上が期待できる。
農研機構は富山大学、東京大学、摂南大学と共同で、チョウ目害虫アズキノメイガのオス宿主由来の培養細胞を作出し、これにボルバキアを人為的に移植し、定着させることに成功した。また見た目ではわからない培養細胞の性をPCR検査により簡易的に調べる手法を確立した。
これらの手法により、共生微生物ボルバキアが引き起こす生殖操作のひとつである宿主オスのメス化現象(性転換)を試験管(組織培養フラスコ)内で再現することに世界で初めて成功した。さらにこの実験系を用いてアズキノメイガの性決定に関与する2個の遺伝子の発現がボルバキア導入により大きく変化することを明らかにした。
本成果はメス化作用を持った共生微生物の効率的なスクリーニングを可能にする。また、培養細胞の新しい利用技術により、共生微生物による生殖操作の機構解明が加速する。共生微生物を活用して昆虫のメス化を促進•オスを除去する手法は、害虫防除や有用昆虫の効率的生産の新しい技術の開発につながることが期待される。
関連情報
予算 : ムーンショット型農林水産研究開発事業「先端的な物理手法と未利用の生物機能を駆使した害虫被害ゼロ農業の実現」、科研費(20F40719, 20K06084, 20K06083, 19H02972)、運営費交付金、NIP「共生微生物を利用した病害虫防除を実現するための新技術開発」
問い合わせ先など
研究推進責任者:農研機構生物機能利用研究部門所長 中島信彦
研究担当者:同昆虫利用技術研究領域上級研究員 陰山大輔
広報担当者:同研究推進部研究推進室 笠嶋めぐみ
<詳細情報>
開発の社会的背景
主に昆虫に共生する微生物ボルバキアは、宿主の生殖を様々な手法で操作している。この生殖操作を利用した害虫防除技術は、標的となる害虫以外に影響を与えないことから、デング熱等を媒介する蚊の防除などで環境負荷が低い手法として注目されている。
従来の化学農薬による害虫駆除では、害虫以外の益虫や生態系への負荷が生じてしまうが、共生微生物を利用した害虫防除技術では、標的となる害虫以外には全く影響を与えないし、共生微生物により強化された天敵の利用についても従来の天敵利用と同様に環境負荷を大きく抑えることが期待できる。
一方でボルバキアは、生きた昆虫の組織や細胞内でしか生きられないため、①単独で培養ができない、②ボルバキアの人為的な移植は容易ではない、という問題が研究の阻害要因となっていた。このためボルバキアがもつ機能の詳細な理解やその利活用に向けた研究は、ショウジョウバエなど一部のモデル昆虫や人に病気を媒介する衛生害虫に感染した生体組織や細胞を用いた研究に限られていた。
研究の経緯
我々の研究グループでは、ボルバキアによる宿主アズキノメイガのメス化に関する研究を進めてきた。メス化の仕組みを明らかにするためには、ボルバキアを持たないアズキノメイガにボルバキアを移植して、ボルバキアが操作する宿主側の因子を探索する技術が有効であると考えられるが昆虫から昆虫へのボルバキア移植は技術的なハードルが高く、移植に成功しても定着しにくい等、多くの問題があった。
そこでボルバキアと宿主の相互作用を解明するための研究ツールとして、培養細胞を活用することがメス化の仕組みを解明するためのブレイクスルーに繋がると考え、共生微生物を移植した培養細胞を活用した研究を進めてきた。農研機構はジーンバンク事業のサブバンクにおいて国内屈指の昆虫培養細胞株数を維持管理しており、昆虫類の培養細胞株作出技術やその利用に関する多くの研究実績を持っている。
共生微生物を培養細胞に移植して利用することには、以下のメリットが期待できる。①昆虫飼育の必要が無く、フラスコ内で共生微生物を維持管理することができる。②共生微生物が昆虫種に与える影響について、フラスコ内で簡便に調査することが可能になる。このように培養細胞の利用は、希少な昆虫種や飼育困難な昆虫種が保有する共生微生物において詳細な解析が可能になる。
研究の内容・意義
1.チョウ目害虫アズキノメイガ(写真1)に感染する共生微生物ボルバキアは宿主の性をオスからメスへ性転換させることが知られている。アズキノメイガの雌雄は遺伝子の発現調節で決まる。性決定遺伝子doublesex(Osdsx)は雌雄で異なる発現パターンを示すため、PCR検査により雌雄判定できる(Sugimoto and Ishikawa, 2012; https://doi.org/10.1098/rsbl.2011.1114)。
2.まず、アズキノメイガのオス組織から培養細胞を作出した。次にボルバキアに感染しているアズキノメイガのメスから抽出したボルバキアを、オス由来の培養細胞に移植することで、感染を確立させた。
3.ボルバキアを感染させたオス由来の培養細胞の性決定遺伝子の発現パターンを調べたところ、発現パターンがオス型からメス型へと変化していた。この結果はボルバキアによる生殖操作をフラスコ内で再現できた初めての事例で、共生微生物機能の研究に培養細胞が有効な素材であることを示す重要な発見だ。
3.ボルバキア移植によりメスに性転換したオス由来培養細胞では、2つの遺伝子(OsMascとOsznf-2)の発現量が大きく変化した( 図1)。これらはカイコガやアワノメイガでオス化誘導や性決定に関連すると考えられる遺伝子と類似性があった。
またアズキノメイガ生体においても、OsMascとOsznf-2の遺伝子は、ゲノムDNAからmRNAが転写される際の 選択的スプライシング 5)によってオス型とメス型の特徴的な発現パターンが生じていることがわかった( 図2)。この結果からこれらの2遺伝子は性決定に関与する因子であると考えられる。
4.アズキノメイガ卵の発生初期において、OsMascとOsznf-2の2種の遺伝子の発現パターンを解析したところ、OsMasc遺伝子のオス型配列のみがボルバキアにより顕著に抑制されることがわかった( 図3)。この結果はOsMascのオス特異的に転写される領域がオス化決定に重要な配列であり、ボルバキアによるメス化誘導のターゲットである可能性を示唆する。
今後の予定•期待
最近、別の研究グループにより、アズキノメイガの近縁種アワノメイガにおいて、ボルバキアが持つオス殺し遺伝子Oscarが同定され、アワノメイガが持つMasc遺伝子(OfMasc)と相互作用することが示された(Katsuma et al., 2022; https://doi.org/10.1038/s41467-022-34488-y)。
本研究において、ボルバキアにより操作を受ける宿主側の候補として、Masc遺伝子の雌雄それぞれに特異的な産物が新たに明らかになり、znf-2遺伝子が新たに示されたことで、今後アズキノメイガにおいて、ボルバキアが宿主に対してどのように作用し、どのようにメス化誘導に起因するオス殺しを達成しているかについての全容解明に向けた解析が可能になると期待している。
本研究成果は、更に特定の性の昆虫を生産する技術につながる可能性がある。例えば、共生微生物に感染したオスのみを放飼することにより野外個体数を減らすという害虫防除手法(不和合虫放飼法)が近年注目を集めているし、生物農薬として活用される天敵には寄生バチなどメスのみが殺虫活性を持つものが多く知られる。本研究の進展を通じて、共生微生物を利用した環境負荷が低い新規害虫防除技術や有用昆虫生産技術への貢献を目指す。
用語の解説
共生微生物ボルバキア Wolbachia pipientis
共生微生物は昆虫の細胞内に共生する微生物で、ウイルスや糸状菌なども含む様々なものが含まれる。その中でもアルファプロテオバクテリアに属するボルバキアは、昆虫を含む陸生節足動物の全体の65%の種にも感染が及ぶといわれている。共生微生物は一般に宿主の細胞質内に多く生息する。そのためミトコンドリアと同じようにメス親から子には伝わるが、オス親からは伝わらない。ボルバキアは自身が感染するメスを有利に生存させるため、しばしば宿主昆虫の生殖•繁殖を歪める操作を引き起こすことがわかっている。
メス化
ボルバキアによる生殖•繁殖の操作にはいろいろなものが報告されているが、遺伝的にオスである宿主をメスに性転換させるメス化は、その代表的なものとして知られている。本来オスはボルバキアを子に伝えることができないが、メスに性転換させることで子に自身が感染する細胞質を受け渡すことが可能になる。
一方でアズキノメイガに感染するボルバキアは、宿主のオスをメス化する作用を持っているが、そのメス化効果が原因となり、結果的にオスが死ぬ"オス殺し"が起こっている。宿主のオスのみを殺すメリットとしては、たくさん生みつけられた卵の中から、オスとなる卵のみが発育を停止するため、①限られた量のエサ資源に対してメスの割合が増加し、メス化と類似の効果が期待できる、②メスが孵化した際に発育不全のオス卵をエサとして利用することで、孵化幼虫の生存率を向上させることができる、等の効果があると考えられている。
培養細胞
動物や植物から細胞や組織を取り出し、好ましい人工培地•環境において維持管理することを通じて、自律的に増殖する性質を持つようになった細胞。
PCR検査
細胞の中に含まれるDNAやRNAを人工的に増やして、高感度で検出する検査方法。複製酵素(Polymerase)を用いて鋳型となるDNAを指数関数的に増幅させるため、Polymerase Chain Reaction(略してPCR)と呼ばれる。鋳型となる核酸がRNAの場合には、逆転写(Reverse Transcription)反応によってRNAをDNAに変換してPCRを行う必要がある。そのため遺伝子発現を確認する際のPCR検査は、逆転写PCR (RT-PCR)と呼ばれる。
選択的スプライシング
1つのゲノム領域から、配列の異なる複数の遺伝子を生成する仕組みだ。ゲノムDNAから転写された未成熟のmRNAは、翻訳される部位であるエクソンと除去される部位であるイントロンという部位を含むが、この未成熟mRNAからイントロンを除去してエクソンのみからなる成熟mRNAを作出する機構をスプライシングと言う。その中でもエクソン部位とイントロン部位を、目的に応じて変化させることで、1つの遺伝子領域から塩基配列の異なる複数の成熟mRNAを作り出す機構を選択的スプライシングと呼ぶ。一例として、昆虫で広く性決定遺伝子として機能しているdoublesex(dsx)遺伝子は、雌雄で異なった形で選択的スプライシングを受けることにより、性特異的なDSXタンパク質が作られ、雌雄の形態的特徴を作り出す遺伝子として機能している。
発表論文
Benjamin Herran, Takafumi N. Sugimoto, Kazuyo Watanabe, Shigeo Imanishi, Tsutomu Tsuchida, Takashi Matsuo, Yukio Ishikawa, Daisuke Kageyama. (2022) Cell-based analysis reveals that sex-determining gene signals in Ostrinia are pivotally changed by male-killing Wolbachia. PNAS Nexus, pgac293. https://doi.org/10.1093/pnasnexus/pgac293
参考図
図1 発現変動する遺伝子の解析結果
非感染オス細胞に対する感染オス細胞における56,026個の遺伝子断片のRNA量(対数比)。遺伝子断片5つのみが有意な発現変動を示した(赤丸)。このうち4つがOsMasc、1つがOsznf-2の部分配列に相当した。
図2 OsMascおよびOsznf-2の遺伝子構造(cDNA)
青色は非感染細胞のみで転写される配列、赤色は感染細胞のみで転写される配列、黄色は両方で転写される配列。開始コドン(白三角)から終止コドン(黒三角)までが、タンパク質に翻訳される領域。
図3 OsMascおよびOsznf-2の発現量解析の結果(胚)
サンプルとして卵塊(卵の集合体)を使用。各図とも縦軸は各遺伝子の相対的な発現量を示し、横軸は産卵後からの経過時間を示す。「通常」はボルバキア非感染雌から採取した卵塊、「ボルバキア感染」はボルバキア感染メスから採取した卵塊を示す。それぞれの卵塊からRNAを抽出して、定量PCRに供した。