焼き鳥はいつ頃からか…
文献に残っているのは江戸時代
焼き鳥は鳥肉を刺して、タレや塩を付けてあぶり焼いた料理を言います。鳥の他に豚や牛の臓物を焼いたものもあります。
現在の日本において、焼き鳥は多くの場合、鶏肉や豚肉などの肉を一口大に切った様々な部位を数個(1個から5個程度)を竹串で刺し通し、調理してあぶり焼きにしています。あぶり焼きは食欲をそそりますが、古代より行われて来た調理法です。山野で得た獲物を食べるには、鍋や壺などの調理器具を使わなくても加熱可能で都合のよい方法でした。しかし、大きい鳥などは丸焼きするのに時間がかかり、骨もあって食べにくかったため、次第に料理店では、肉を小さく切って、串に刺す方法に移ったものと考えられます。さて、文献によれば、慶安元年(1648年)に信州佐久郡岩村田の割元(割本)の篠澤佐五右衛門良重さんが、小諸城主青山因幡守に献上した料理の献立の中に「焼き鳥」が記述されております。この「焼き鳥」の肉の種類、調理法、調味料等は文献に載っていないため、定かなことは言えませんが、現在のような調理法とは異なる可能性があります。また、同文献には「鶴肉の吸い物」の記述もあるので、鶴の肉を焼き鳥にして殿様に提供されていたかも知れません。
この料理の文献は子孫の篠澤明剛氏(現佐久ホテル代表)が所有されており、現在は佐久市立望月歴史民俗資料館にて一般公開されています。