2023.10.03(火

植物の新たな干ばつストレス応答機構を発見
「見えない干ばつ」を克服し、作物の大幅増収への
道を切り拓く(国際農研)

ポイント>
栄養欠乏応答から始まる植物の新たな干ばつストレス応答機構を発見
畝(うね)を利用して、畑で干ばつを安定して誘導する実験系を
 国際農研、京都大学、名古屋大学、理化学研究所、東京大学および農研機構の研究チームは、葉のしおれが見られない程度の極めて初期の 干ばつ 1)において、植物体内の リン酸 2)量が低下し、 リン酸欠乏応答 3)が起こることを世界で初めて発見した。
 温度異常、塩害、病虫害などのさまざまな環境要因の中で、干ばつは作物生産に最も深刻なダメージを与える環境ストレスだ。枯れてしまうような目に見える干ばつによる被害だけでなく、葉がしおれない軽度の干ばつであっても、収量が半減するほどの甚大な被害をもたらす。しかし、このような「見えない干ばつ」に対して、実際の畑で植物がどのように応答しているのかについては、畑の環境が複雑に変化するだけでなく、十分な雨が降ると干ばつ試験を行うことができないため、これまで解明されていませんでした。
   この実験系を用いた畑のダイズの網羅的解析から、これまでわかっていた アブシシン酸 4)(ABA)の応答が起こる前の、葉がしおれないレベルの初期の干ばつにおいて、植物のリン酸量が低下しリン酸欠乏応答が起こることを突き止めた。また、実験室における シロイヌナズナ 5)を用いた解析から、リン酸欠乏応答に関わる鍵遺伝子が、干ばつ初期の植物の生育に重要な役割を果たしていることを明らかにした。
 本研究成果は、国際科学専門誌「Nature Communications」オンライン版(日本時間2023年8月19日)に掲載された。
<関連情報>
   この 研究は運営費交付金プロジェクト「レジリエント作物とその生産技術の開発」、科研費(18K05379(link is external)、21H02158(link is external)、16K07412(link is external)および24510312(link is external))、ムーンショット型農林水産研究開発事業「サイバーフィジカルシステムを利用した作物強靭化による食料リスクゼロの実現」(JPJ009237)(link is external)、科学技術振興機構(JST)と国際協力機構(JICA)の連携事業である地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム(SATREPS)「高栄養価作物キヌアのレジリエンス強化生産技術の開発と普及」の支援により行われた。
発表論文
論文著者
Nagatoshi, Y., Ikazaki, K., Kobayashi, Y., Mizuno, N., Sugita, R., Takebayashi, Y., Kojima, M., Sakakibara, H., Kobayashi, N.I., Tanoi, K., Fujii, K., Baba, J., Ogiso-Tanaka, E., Ishimoto, M., Yasui, Y., Oya, T. Fujita, Y.
論文タイトル
Phosphate starvation response precedes abscisic acid response under progressive mild drought in plants
雑誌
Nature Communications
DOI : https://doi.org/10.1038/s41467-023-40773-1(link is external)
問い合わせ先など
国際農研(茨城県つくば市)理事長 小山修
研究推進責任者:国際農研プログラムディレクター 中島一雄
研究担当者:国際農研 生物資源•利用領域 主任研究員 永利友佳理
                  国際農研 生物資源•利用領域 プロジェクトリーダー 藤田泰成
広報担当者:国際農研 情報広報室長 大森圭祐
プレス用 e-mail:koho-jircas@ml.affrc.go.jp(link sends email)
 
研究の背景と経緯>
 近年、地球温暖化に伴う極端気象が世界的に頻発しており、干ばつによる作物生産の被害が激増している。葉がしおれない「見えない干ばつ」であっても、作物の生育は顕著に低下し、世界的に甚大な収量の損失をもたらしている。一方で、世界人口は増加の一途を辿っており、作物の安定生産と生産力のさらなる向上は急務となっている。
 国際農研では、干ばつに強い作物の開発を目指して、長年、イネやダイズなど主要作物の干ばつストレス応答機構の解明に取り組んできた。一連の研究の過程で、実験室で得られたモデル植物の知見を作物に応用するために、国際共同研究により畑での試験を展開してきた。
   しかし、環境が不規則に変動する畑で一定の干ばつ環境を再現することは容易ではなく、実際の畑における植物の干ばつストレス応答については、解明されていませんでした。そこで研究チームは、この畑における試験の難題を突破する手法の開発に挑むとともに、畑で観察された現象を実験室で再現して、詳細な分析を可能にする実験系の構築を通して、植物の干ばつストレス応答の分子機構の本質に迫る研究に取り組んできた。
   本研究では、甚大な作物生産ロスにつながる「見えない干ばつ」に注目し、これまで研究用途に使われていなかった「畝」を干ばつ研究に用いることにより、畑における干ばつ研究に新たなパラダイムシフトをもたらした。また、これまでに植物ホルモンであるABAが、植物体内の水分欠乏時に重要な役割を担うことがわかっていたが、本研究では既知のABAによる応答とは異なる新たな干ばつストレス応答機構を発見した。
<研究手法と成果>
 本研究では、畑における植物の干ばつストレス応答機構を明らかにするため、子実生産量に対する水の利用量が最も多い主要作物であるダイズと、モデル実験植物のシロイヌナズナを研究材料に選んだ。畑と実験室、作物とモデル植物を組み合わせた一連の「From field to lab(フィールドからラボへ)」研究により、主に以下の5点を明らかにした。
1 6年間の畑における試験を通して、高さ30 cmの畝を用いることにより、ダイズの収量が約50%減少する「見えない干ばつ」を再現できることを実証した。これまで難しかった畑における干ばつ試験を、 レインアウトシェルター 6)などの高額な設備を設置することなく、経済的かつ汎用性の高い手法で実施することが可能になった(図1)。
2 畝を用いた干ばつ条件下で栽培したダイズ葉(図2)の網羅的な遺伝子発現解析により、軽度の干ばつストレスにより、リン酸欠乏応答が特異的に誘導されることを発見した。さらにダイズ葉のリン酸含量が、干ばつによって低下することを明らかにした。
3 温度と光条件を制御できる植物培養器において、ポット内の土壌水分量をコントロールして栽培したダイズの解析(図2)から、干ばつの初期にリン酸含量が低下し、リン酸欠乏応答が誘導されることを明らかにした。さらに干ばつが進むと、これまでの知見で明らかになったABA含量が増加し、ABAに応答する遺伝子群の発現(ABA応答)が誘導されることを確認した。
4 モデル植物であるシロイヌナズナ(図2)においても、干ばつストレス初期にリン酸の取り込みが減少することにより、植物体内のリン酸濃度が減少し、リン酸欠乏応答が誘導されることがわかった。この結果から、畑のダイズだけでなく、干ばつ時の植物に共通した普遍的な現象であることが示唆された(図3)。
5 リン酸欠乏応答を誘導できないシロイヌナズナ変異体では、通常の野生型のシロイヌナズナと比較して、干ばつ時の生育が顕著に抑制された。この結果から干ばつ初期のリン酸欠乏応答は、干ばつ時の生育を維持するために重要な役割を果たしていることが明らかになった。
<研究の成果・今後の期待>
 「見えない干ばつ」がもたらす作物生産の甚大なロスを定量的に示したことから、「見えない干ばつ」に注目した新たな研究領域の創出や、リン酸欠乏応答を指標とした干ばつ感知センサーの開発などの関連領域の拡大活性化に貢献できる。
   また、本研究では畑での干ばつ研究や干ばつ耐性品種の選抜を、世界の畑や研究機関において、安価で簡便に実施できる「畝」を利用した干ばつ実験系を開発した。これにより、途上国を含むそれぞれの地域の状況にあわせて、さまざまな作物種の干ばつ耐性系統の作出を、世界レベルで促進することが可能になった。複雑で捉えることが難しい畑での干ばつ研究への取り組みに一つの道筋を提示したことにより、畑の干ばつストレス応答の分子機構の解明を一気に加速させることが期待できる。
 今後、本研究の成果が、干ばつに強い作物の開発や収量ロスをなくす灌漑の最適化などを通して、作物生産の レジリエンス 7)を強化し、世界の食料安全保障に貢献することが期待できる。
<用語の解説>
1)干ばつ
   雨が少ない場合や、長期間雨が降らない場合に起こる水不足の状態を意味するが、水不足が生じるタイミング、頻度、持続時間や強度などの程度によって、植物への影響も大きく異なる。「干ばつ」と一言で表現しても、実はとても複雑で、捉えることが難しい現象である。
2)リン酸
   植物の生育に必須な栄養素のうち、三大栄養素(窒素、リン酸、カリウム)の一つだ。植物体内において、核酸の構成成分であり、タンパク質合成やエネルギー代謝にかかわる重要な物質でもある。
3)リン酸欠乏応答
   リン酸が欠乏した時に植物体内で遺伝子発現などが誘導され、植物体内へのリン酸の取り込み能が増大したり、根圏の形態に変化が生じたりするような応答反応のこと。この研究では特にリン酸欠乏によって誘導される特異的な遺伝子発現に注目している。
4)アブシシン酸
   植物ホルモンの一つで、ABAと略される。植物の乾燥ストレス応答や、種子の休眠において重要な働きをすることが良く知られている。
5)シロイヌナズナ
   アブラナ科の一年草。ゲノムサイズが小さいこと、一世代が短く室内で容易に栽培できること、多数の種子が得られることなどの特徴から、モデル実験植物として世界中で研究に用いられている。
6)レインアウトシェルター
   畑に雨が降るのを避けるための装置の総称。雨よけとして太陽光を通す屋根が畑に常設してあるタイプのレインアウトシェルターもあるが、降雨時に自動的に屋根が動いて、試験用の畑に雨がかからないようにするタイプのレインアウトシェルターもある。後者の自動で屋根が動くタイプのレインアウトシェルターは、常設型のものと異なり、屋根による微気象の影響を最小限に抑える点では効果的だが、その導入や維持にも高額の費用がかかるため、主に欧米を中心とした先進国でしか使われていないのが現状だ。
7)レジリエンス
   干ばつなどの環境ストレスなど、作物生産にマイナスに作用するさまざまな外的な要因に耐える力と、そこから回復する力のことだ。

図1.畝を用いて畑で干ばつストレスを人為的に誘導することが可能に
   高さ30cmの畝を用いることにより、畝区では土壌水分が通常区よりも減少し、ダイズの生育や収量が顕著に低下する。左図は播種後56日目のダイズの生育状況を示している。試験区に設置した土壌水分センサーの情報は、黒いケーブルを通して白い箱の中にある記録装置に蓄積されており、試験区内の土壌水分の経時的なモニタリングを行っている。右図はそれぞれの試験区で育った収穫時のダイズの様子と収穫したダイズ種子を示している。この場合でもダイズの収量は、およそ半分程度になっている。しおれが見られない程度の「見えない干ばつ」においても、作物生産に大きなダメージを与えていることがわかる。実験場所は茨城県つくば市。

図2. 畑と実験室、モデル作物とモデル実験植物を組み合わせた、畑の干ばつストレス応答機構の解明に向けた取り組み
   主要作物のダイズとモデル実験植物のシロイヌナズナ、実験室と畑における研究をそれぞれ組み合わせ、畑の作物で観察された現象を実験室で詳細に検証する「From field to lab(フィールドからラボへ)」研究により、新しい知見を得ることができた。

図3. 乾燥ストレスの初期段階にリン酸欠乏応答が生じることを実証
   今回の研究では、これまでわかっていたABAの応答が起こる前の、葉のしおれが見られない程度の極めて初期の干ばつにおいて、植物のリン酸量が低下し、リン酸欠乏応答が起こることを突き止めた。本研究では植物の干ばつストレス応答についての新たなモデルを提示した。
 
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