てんやもんは旨かった!
チェーン店のFRやFFに
押され、風前の灯だが…
2015.11.16
松竹映画『男はつらいよ』シリーズは、山田洋次原作・脚本・監督、渥美清主演で一九六九年に第一作が公開され、以後一九九五年までの二六年間に全四八作品が公開された国民的人気映画である。的屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、ひょいッと下町の葛飾柴又に戻って来ては何かと大騒動を起こす人情喜劇が展開される。今でも土曜のテレビドラマで放映され、いつも愉しみにしている。
物語の中心舞台となるとらやで「てんやもんでも取ろうか」という場面がよく出てくる。山田洋次監督の下町人情と温かさを演出する手立てだろうが、不思議に旨そうに伝わってくる。この「てんやもん」とは「店屋物」のことだ。語源由来辞書によれば店屋物とは飲食店で作った料理。時に飲食店から取り寄せる食べ物や仕出しのことを指している。また店屋物の「店屋」(てんや)は本来、宿駅に併設された物を売る店のことで、飲食店に限定されるものではなかった。近世に入り、居酒屋や一膳飯屋などの飲食店を「店屋」と呼ぶようになり、そこで作られた物を「店屋物」と言うようになったと言われている。
さてここで「てんやもん」の能書きをしたい訳ではない。十月の中旬に東京の知人の告別式に出掛けた際の話。場所は地下鉄東西線門前仲町駅近くの深川地蔵や富岡八幡宮があるところだ。東京駅から直行しただけに、地下鉄の駅(東口)を上がると、いきなり下町風情と人情が満ち溢れる街角が飛び込み、何かタイムスリップしたような錯覚に陥った。
少し時間があったので、この下町風情を味わいながら若き日のことを思い出していた。十分ぐらいブラブラしただろうか。目前に二〇坪程の小さな食堂があり立ち寄って見た。L字型のカウンター八席、スチールのテーブル席が三卓か四卓ある、昔どこにも見られた食堂の典型的な雰囲気だ。小腹が空いたのでタンメン(六四〇円)を頼んだ。カウンターにご主人が立ち、その横には奥さんだろうか。ホールにもう一人の女性がいた。
間もなくすると、手際よく「タンメン」が出された。その時間が午前十一時半過ぎだったと思う。その頃になると、お客さんがどんどん増え始め八割ぐらいの入りとなっていた。「タンメン」は茹でた中華麺と炒めた肉野菜のバランスは想像以上であり、とらやのシーンや私がイメージする「てんやもん」そのものであった。
正午一〇分ぐらい前だったと思う。カウンターに六四〇円置き、出ようとした時に女性の方が「十二時前に来店された方は百二十円引きになっています」と言われ、余計に嬉しくなり美味しくも感じた。正に先味、中味、後味が完成されていたのだった。「ポップやメニューに何も書いてないのがみそ」といえよう。
「てんやもん」をイメージする飲食店や食堂は、地方ではめっきり影が薄くなっているし、またお止めになっている。ほとんどは四十年代後半、五十年代に成長を遂げたファミリーレストランやファーストフードのチェーン店にお客が奪われたことが原因であろう。現在、地方の中小、零細の飲食店の八割は途方に暮れている。
しかし、だ。そのチェーン店も成長したものの苦戦を強いられている。やはり歴史は繰り返すのである。従って地方の二割の飲食店にも大きなビジネスチャンスは到来している。「てんやもん」をイメージする食堂経営だ。浮かれたパフォーマンスも「不易流行」を常に理解していれば直ぐに判るというもの。料理もサービスも基本に戻った店づくりである。山田洋次原作の「男はつらいよ」シリーズは名作で今も人気を博している。多種多用な人情喜劇を展開しながらも、あらすじは実にシンプルで収斂されていると私見している。名品、名作、そして「商い」もこの辺りが大きなポイントではないだろうか。