飲食産業新聞

先行きが見えない、分らない「不安」

「ごとうび」に怯える中小零の経営者
心の声を聞き、強かさとしなやかさで

 先行きが見えない、どうしていいか分からないという「不安」から、真面目な中小零の企業経営者が五•十日(ごとうび)前に電車に飛び込む、川や海に飛び込む、あるいは車中で山の中での自殺はよく聞かれることだ。
 「そんなことがあっていいものか?」「どうしてそんなことしてしまうのか?」といつも悔しく想う。「倒産」という法律用語もないのに、金融機関や社会の作られたイメージに苦しめられ、病に伏しさらに精神的に追い込まれ、そして…。中小零の経営者は個人保証をしないとお金が借りれない。上場企業は倒産しても代表者の個人財産を無くすことはない。「くそーっ」と想いながらも、中小零の経営者はすべてを失くしてしまう。
 財産のみならず長年築いてきた信用も含めて一瞬に全てを失くす。商売は良い時も悪い時もある。時代の流れが速く、資金力のない中小零の経営者は対応できず瞬く間に窮地に陥る。経営者は従業員や家族のために命がけで頑張るのだが、最後は資金繰りが苦しくなりすべての歯車が狂い、金融機関から見放される。
 真面目な経営者は目の前が真っ黒になり、何も考えることが出来なくなる。従業員、家族そして取引先すべてに申し訳なく思う。それ故に自分の将来が描けなくなり、ただただ自分を追い込んでしまう。そして「死」を選択する。このような経緯が一連の流れである。
 現在の飲食業界もこの破綻状態の限界地点にいる方が極々に多いように見える。そういう方々と直接お話してみると、「うちはなんとかなるとか、なんとか凌いでずっている」というお決まり文句の答えと強がりが返って来るが、実態は相当に厳しく上の空の返事としか思えない。
 飲食業は現金商売であり、手形や小切手は振り出さず、ある時は支払いを延ばしたり、ある時は取引先を変えて凌いでいる。そのためか一見見えにくいのも事実だ。一般企業ならばとうに「破産」しているのだが、これが飲食業の不思議なところである。現金商売が故になせる技を最大限に発揮し、「しなやかさ」と「強かさ」で生き抜いている方が今もおられるだけに敬服する。
 こういう皆さんもいよいよ「本気」の本気度が増して来た。男の本気の心理と女性を触れているのではない。「本気」とはまじめな気持ちとか真剣な気持ちやその様を意味するが、彼らは五•十日に怯えながらも、その本気で「不安」を無くし解決しようといる。
 あるお店の壁紙にこんなことが書いてあった。「本気ですれば大抵のことができる。本気ですれば何でもおもしろい。本気でしていると、誰かが助けてくれる」。何故かこの壁紙の書が気になって仕方がない。遠い昔のことを思い出した。「自分の人生を生きるのは自分しかいない。代わりのいない己の人生を充実させるためには何をすべきか。それは自分自身を知り、心の声を聞いて、本気で生きることだ」と。
 さて私は2月25日の夜、長野市権堂町を中心に「ごんバル」(権堂で、食べる!飲む!はしごする)というイベントに参加していた。今回で十回目を迎えているという。一回目は二年前の8月だったと記憶している。「権堂町界隈の魅力アップと活性化に飲食業の皆さんが心を一つにして立ち上がり、素晴らしいイベントが始まったものだ」と感心していた。それ以来数回か参加させて頂き、愉しみながらエールも送り続けて来た。
 権堂町界隈はご存知の如く往年の賑わいもなく、昔の栄華はウソのようだ。花街や歓楽街、そしてそこにある飲食空間は私の記憶から今も消えていない。加えてそこに「強かさ」や「しなやかさ」で生き抜く飲食店経営者の姿が何人か浮かんで来る。本当に嬉しいことだ。そして彼らの「本気」に期待したい。
 十回目を迎えた「ごんバル」イベント。そのパンフに現在七八店が加入されていたが、当初の頃はもっと多かった気がする。回を重ねる毎に加盟者が少なくなっていくのは、どこのイベントも同じである。しかし、加盟者のエリアが権堂町界隈から長野駅前近くまで広がっていたことには驚いた。いろいろな事情もあろうが、当初のコンセプトは崩してはいけないと思う。必ず問題が噴出するだろう。
 継続していくためにも「本気」で軌道修正して欲しい。参加者が少なくなってもいいではないか。これは一人のファンとして願うのである。「不安」が一企業の破産にも追い込むのもくだんの如くである。一つの集まりにしても「不安」を解消しなければ、崩壊を招くだろう。いずれにしても企業•団体問わず、現在の豊かさの貧困経済の本質を見抜き、心の声を聞き、行動することで、それぞれが救われると私は確信している。